大相撲中継やニュースで「阿武咲」という名前を目にして、正しく読めずに困った経験はありませんか?
この力士は若くして幕内で活躍し、優勝争いにも加わった実力者ですが、その四股名は初見では読むのが難しい「難読四股名」の一つとして知られています。
また、2024年末に現役を引退し、現在は相撲界を離れて意外な分野で第二の人生を歩んでいることをご存知でしょうか。
この記事では、阿武咲の正しい読み方や名前の由来だけでなく、現役時代の輝かしい実績やライバルとの熱いエピソード、そして引退後の最新情報までを網羅して解説します。
かつて土俵を沸かせた名力士の足跡を辿りながら、彼の新しい挑戦についても知ることで、阿武咲という人物の魅力を再発見できるはずです。
- 阿武咲の正しい読み方は「おうのしょう」
- 四股名の由来は「阿武松部屋」と「花が咲く」
- 2024年に引退し現在は美容業界へ転身
- ライバル貴景勝との深い絆とエピソード
阿武咲の読み方と四股名に込められた深い由来
相撲ファンならずとも、番付表やニュースで「阿武咲」という文字を見て、その読み方に戸惑う人は少なくありません。
ここでは、まず最も基本的な「読み方」の正解と、その名前に込められた師匠や恩師の願い、そして命名の背景にある素敵なエピソードについて詳しく解説していきます。
正しい知識を持つことで、彼が土俵に残した功績をより深く理解することができるでしょう。
正しい読み方とよくある間違い
「阿武咲」の正しい読み方は、「おうのしょう」です。
「阿武(おうの)」と「咲(しょう)」という組み合わせは、一般的な漢字の読み方からは想像しにくいため、多くの人が「あぶさき」や「あぶしょう」と誤読してしまいます。
特に「阿武」を「おうの」と読ませる点は、大相撲の歴史や所属部屋の伝統を知らないと正解にたどり着くのが難しいポイントです。
また、「咲」を「しょう」と読むのも独特で、これは「笑う(しょう)」という字の意味に通じる部分や、人名読みとしての特殊な響きが含まれています。
テレビの実況や解説でも、新入幕の当時はアナウンサーが丁寧に読み方を説明する場面が度々見られました。
この難読さこそが、一度覚えたら忘れられないインパクトを与え、力士としての存在感を高める要因の一つにもなっていたのです。
「阿武」と「咲」それぞれの意味
四股名の前半「阿武(おうの)」は、彼が所属していた「阿武松(おうのまつ)部屋」から取られています。
阿武松部屋の力士の多くは、師匠の四股名や部屋名にちなんだ文字を入れることが伝統となっており、阿武咲もその系譜を受け継いでいるのです。
この「阿武」という文字には、部屋の看板を背負って立つ力士になってほしいという期待が込められています。
後半の「咲(しょう)」には、「土俵の上で大輪の花を咲かせてほしい」という美しい願いが込められています。
相撲界は厳しい勝負の世界ですが、その中で実力を開花させ、多くのファンに愛される存在になってほしいという思いが託された一文字です。
力強さと華やかさを兼ね備えたこの四股名は、彼の突き押し相撲のスタイルとも見事にマッチしていました。
阿武松部屋との関係性と命名背景
阿武咲という四股名は、彼が阿武松部屋に入門した際、地元の恩師である相撲道場の監督が名付け親となって命名されました。
入門当時の師匠である元関脇・益荒雄(阿武松親方)もこの名を気に入り、初土俵から引退まで改名することなく、この四股名を貫き通しました。
部屋にとっても、彼は創設以来の傑作と言われるほどの才能を持っており、その名は部屋の象徴でもあったのです。
命名の背景には、「阿武松部屋で育ち、そこで花開く」というストーリーが最初から描かれていたと言えます。
実際に彼は、スピード出世で関取となり、幕内上位で横綱や大関と互角に渡り合う活躍を見せ、その名の通り土俵上で見事な花を咲かせました。
師匠と弟子、そして故郷の恩師との絆が形になった、非常に意味深い四股名なのです。
地元青森県への想いと四股名
阿武咲は青森県北津軽郡中泊町の出身であり、相撲王国・青森の誇りを胸に土俵に上がり続けました。
四股名自体に地名は入っていませんが、彼の活躍は常に故郷の人々に勇気と希望を与え続けてきたことは間違いありません。
地元では「おうのしょう」の名は広く知れ渡り、場所中には多くの応援団が声援を送っていました。
彼自身もインタビューなどで度々故郷への感謝を口にしており、四股名を汚さないような相撲を取りたいと語っていました。
厳しい稽古に耐え、怪我に苦しむ時期があっても土俵に立ち続けた原動力の一つは、故郷からの期待に応えたいという強い責任感だったのでしょう。
その姿勢は、雪国出身の力士らしい粘り強さと芯の強さを感じさせるものでした。
難読四股名としての知名度と評判
「阿武咲」は、近年稀に見る難読四股名として、クイズ番組や雑学の話題としても取り上げられることがありました。
相撲ファン以外にも「読めないけれどかっこいい名前」として認知され、その字面の美しさから女性ファンからの人気も高かったと言われています。
画数のバランスも良く、化粧まわしに染め抜かれた文字には独特の風格が漂っていました。
また、インターネット上では「キラキラネームのようだが古風で良い」「読み方を知ると相撲通になった気がする」といった好意的な反応が多く見られました。
難読であることは、逆に言えば一度覚えれば強く印象に残るというメリットでもあります。
阿武咲という名は、記録だけでなく記憶にも残る、名四股名の一つとして相撲史に刻まれたのです。
阿武咲のプロフィールと土俵人生の軌跡
読み方が分かったところで、次は阿武咲という力士がどのようなキャリアを歩んできたのか、そのプロフィールと実績を振り返りましょう。
平成生まれの若き実力者として角界を駆け抜け、怪我と戦いながらも最高位・小結まで昇進した彼の土俵人生は、まさに波乱万丈でした。
ここでは、彼の基本情報から引退までの道のりを詳細にまとめました。
出身地や生年月日などの基本情報
阿武咲の本名は打越奎也(うてつ ふみや)と言い、1996年7月4日に青森県で生まれました。
幼少期から相撲一筋で育ち、中学時代には全国都道府県中学生相撲選手権大会で史上初の2連覇を達成するなど、「スーパー中学生」としてその名を轟かせました。
高校には進学しましたが、相撲への情熱から中退して角界入りを決断するという、非常に早い段階でプロの道を志した経歴の持ち主です。
身長176cm、体重165kg(現役時)という体格は、大型化が進む現代の大相撲においては決して恵まれた数字ではありませんでした。
しかし、そのハンデを補って余りあるスピードと回転の良い突き押しを武器に、巨漢力士たちを次々と土俵外へ弾き飛ばしました。
小柄ながらも筋肉質の体から繰り出される爆発的なパワーは、彼の最大の魅力でした。
初土俵から関取昇進までの歩み
2013年1月場所で初土俵を踏んだ阿武咲は、持ち前の才能と努力で順調に番付を上げていきました。
序ノ口、序二段、三段目と各段で優勝争いに絡みながら昇進し、初土俵からわずか2年後の2015年1月場所で新十両に昇進しました。
これは当時の現役力士の中でもトップクラスのスピード出世であり、将来の横綱・大関候補として大きな注目を集めました。
その後、2017年5月場所で新入幕を果たすと、いきなり10勝を挙げて敢闘賞を受賞するという鮮烈なデビューを飾りました。
さらに、そこから3場所連続で二桁勝利を挙げるという、年6場所制になってからは史上初となる快挙を成し遂げました。
この時期の阿武咲の勢いは凄まじく、上位陣にとっても脅威の存在となっていました。
最高位小結への昇進と怪我との闘い
破竹の勢いで番付を駆け上がり、2017年11月場所では新三役となる小結に昇進しました。
しかし、激しい突き押し相撲の代償として、膝や足首への負担は大きく、度重なる怪我に苦しめられることになります。
特に膝の靭帯損傷などの大怪我を負った際は、番付を大きく落とすこともありましたが、その都度不屈の精神で這い上がってきました。
2024年に入ってからは、慢性的な首や肩の痛み、そして膝の古傷が悪化し、満足な相撲が取れない状態が続きました。
日常生活にも支障をきたすほどの痛みに耐えながら土俵に立ち続けましたが、ついに2024年11月場所を最後に引退を決断しました。
最高位こそ小結でしたが、その実力は間違いなく三役定着クラスであり、万全であれば大関も狙えた逸材でした。
盟友・貴景勝との絆と知られざる素顔
阿武咲を語る上で欠かせないのが、同い年のライバルであり、同じ突き押し相撲の使い手であった元大関・貴景勝(現・湊川親方)との関係です。
小学生時代から全国大会で顔を合わせ、互いに意識し合いながら成長してきた二人の絆は、相撲ファンの間でも熱い感動を呼びました。
また、土俵上の厳しい表情とは裏腹に、歌がプロ級に上手いという意外な一面も持っていました。
小学生時代からの宿命のライバル
阿武咲と貴景勝は、共に1996年生まれの同学年であり、小学生の頃からわんぱく相撲などの全国大会でしのぎを削ってきました。
「貴景勝のことばかり考えていた」と阿武咲が後に語ったように、常に相手を倒すことを目標に稽古に励んできたのです。
プロ入り後もそのライバル関係は続き、出世争いでも常に互いを意識し合う存在でした。
特に印象的だったのは、2023年1月場所での優勝争いにおける直接対決です。
両者ともに優勝の可能性を残した終盤戦での一番は、意地とプライドがぶつかり合う激闘となり、館内を熱狂の渦に巻き込みました。
勝負には敗れましたが、この一番は二人のライバルストーリーのハイライトとして、長く語り継がれる名勝負となりました。
引退報告時の感動的なエピソード
2024年12月、阿武咲が引退を決断し、一足先に引退していた湊川親方(貴景勝)に電話で報告した際のエピソードが涙を誘いました。
阿武咲が「同じ時代に生きられてよかった」と感謝を伝えると、湊川親方は「オレら頑張ったよな」と返したと言います。
言葉数は少なくても、厳しい勝負の世界を共に生き抜いた戦友にしか分からない、深い共感と労いの気持ちが込められていました。
このやり取りは引退会見で明かされ、阿武咲は涙ながらに盟友への感謝を口にしました。
子供の頃から競い合い、プロの土俵でも切磋琢磨した二人が、ほぼ同時期に土俵を去ることになったのも、何か運命的なものを感じさせます。
二人の友情は、勝敗を超えたスポーツの素晴らしさを体現していました。
プロ顔負けの歌唱力と趣味
土俵上では鬼気迫る表情を見せる阿武咲ですが、プライベートでは非常に明るい性格で知られ、特に歌唱力は角界随一との評判でした。
テレビ番組の企画や巡業先でののど自慢などでその美声を披露することがあり、プロ歌手顔負けの歌声に多くのファンが驚かされました。
ジャンルも演歌からポップスまで幅広く歌いこなし、歌うことが厳しい稽古の後のリフレッシュになっていたようです。
また、趣味としてファッションやスニーカー収集を楽しむなど、現代の若者らしい一面も持っていました。
SNSなどで見せる私服姿はお洒落で、従来の力士像とは一味違うスタイリッシュな雰囲気も彼の魅力の一つでした。
こうしたギャップも、多くのファンに愛された理由と言えるでしょう。
引退の理由と美容業界への驚きの転身
2024年の冬、まだ28歳という若さで阿武咲は土俵を去る決断をしました。
多くのファンがその早すぎる引退を惜しみましたが、その裏には壮絶な怪我との闘いがありました。
そしてさらに驚きを与えたのは、引退後の進路として相撲協会に残らず、全く未経験の「美容業界」を選んだことでした。
「相撲を取れる体ではなくなった」
引退会見で阿武咲が語った理由は、「正直、もう相撲をとれる体ではなくなりました」という衝撃的なものでした。
膝、足首、腰、肩と全身が満身創痍の状態であり、末期には日常生活で歩くことさえ困難になり、夫人の助けが必要なほどだったと明かしています。
プロとして最高のパフォーマンスを見せられない以上、土俵に上がり続けることはできないという、潔くも悲痛な決断でした。
自身の相撲スタイルである「前に出る相撲」は、体への負担が非常に大きく、力士寿命を縮める諸刃の剣でもありました。
しかし、彼は最後まで自分のスタイルを貫き通し、変化や引き技に逃げることなく真っ向勝負を挑み続けました。
その代償としての引退でしたが、その生き様には一点の悔いもないという表情が印象的でした。
相撲協会に残らなかった理由
通常、元三役クラスの実績がある力士は、引退後に親方として相撲協会に残り、後進の指導にあたることが一般的です。
しかし、阿武咲は年寄名跡を取得せず、協会を退職する道を選びました。
これには、第二の人生を相撲以外の新しい世界で切り拓きたいという強い意志があったようです。
若くして社会に出ることになるため、一からビジネススキルを学び、全く違う分野で成功したいというチャレンジャー精神が彼を突き動かしました。
相撲界で培った忍耐力や精神力があれば、どの世界でも通用すると信じ、あえて厳しい環境に身を置くことを決めたのです。
この決断もまた、常に上を目指して戦ってきた彼らしい選択と言えるかもしれません。
横濱馬油商店への就職と現在
引退後の進路として彼が選んだのは、横浜元町に本店を構えるスキンケア用品メーカー「横濱馬油商店」でした。
現役時代から肌が弱く、怪我や擦り傷のケアに同社の商品を愛用していたことが縁で、就職が決まったと報じられています。
2025年4月から社員として勤務し、商品の開発や販売に携わっているとのことです。
元力士が美容業界、それもスキンケア商品を扱うというのは異例中の異例ですが、自身の経験を活かせる分野でもあります。
「自分が本当に良いと思うものを広めたい」という熱意を持って新しい仕事に取り組んでいる姿は、多くの人々に勇気を与えています。
元小結という肩書きに頼らず、一人のビジネスマンとして再スタートを切った彼の今後の活躍に期待が高まります。
大相撲史に残る阿武咲の突き押し相撲
最後に、阿武咲が現役時代に見せた相撲スタイルと、その魅力について振り返ります。
彼の相撲は、見る者にスカッとするような爽快感を与える、攻撃的な突き押し相撲でした。
記録上の優勝こそありませんでしたが、ファンの記憶に強く刻まれたその取り口は、大相撲の魅力そのものでした。
回転の速い突き押しとリズム
阿武咲の代名詞と言えば、何と言っても「回転の速い突き押し」です。
立ち合いから一気に相手の懐に飛び込み、休むことなく両手を突き出し続けることで、相手に反撃の隙を与えませんでした。
その手数の多さとリズムの良さは幕内でも屈指で、波に乗った時の爆発力は横綱・大関陣をも圧倒しました。
特に、下半身の安定感と連動した押しの威力は抜群で、自分より大きな相手を土俵下まで一気に持っていくシーンは圧巻でした。
「引いたら負け」という覚悟を持って前に出続ける姿勢は、相撲の原点とも言える攻撃精神を体現していました。
この小気味良い相撲スタイルが、多くの好角家を唸らせたのです。
決して諦めない土俵度胸
どんなに格上の相手でも、決して怯むことなく立ち向かっていく土俵度胸も彼の大きな武器でした。
新入幕の場所で横綱・日馬富士から金星を挙げた一番は、その象徴的な取組として知られています。
恐れを知らない若武者のような突進は、見ていて清々しい気持ちにさせてくれました。
怪我で番付を下げても、腐ることなく稽古に励み、這い上がってくる不屈のメンタリティも持ち合わせていました。
その姿勢は、勝負の結果に関わらず観客の心を打ち、勝っても負けても大きな拍手が送られる力士でした。
阿武咲の相撲には、見る人の魂を揺さぶる熱いエネルギーが常に満ち溢れていたのです。
ファンへのメッセージと今後
阿武咲は引退に際し、長年応援してくれたファンへの深い感謝を述べています。
今後は土俵の上ではありませんが、新しい舞台で輝く姿を見せてくれることでしょう。
スキンケア商品の開発などを通じて、今度はファンの生活を支える存在になってくれるかもしれません。
彼が残した数々の名勝負と、最後まで貫いた真っ向勝負の精神は、今後も大相撲の歴史の一部として語り継がれていきます。
第二の人生を歩み始めた「打越奎也」氏のこれからの成功を祈りつつ、かつて土俵を沸かせた「阿武咲」の勇姿を心に留めておきましょう。
まとめ
「阿武咲」という難読四股名の力士は、その読み方(おうのしょう)以上に、相撲内容と生き様で私たちに強いインパクトを残しました。
記事のポイントを改めて整理します。
- 読み方:「おうのしょう」(阿武松部屋で花が咲くようにという願い)
- 実績:最高位小結、新入幕から3場所連続二桁勝利の快挙
- ライバル:元大関・貴景勝(湊川親方)とは小学生からの盟友
- 現在:2024年に引退し、横濱馬油商店で新たなキャリアをスタート
土俵での激闘を終え、新しい世界へと飛び込んだ阿武咲。
現役時代の彼の姿を思い出しながら、これからの新しい挑戦も温かく見守っていきましょう。
もし彼の携わる商品を見かけることがあれば、その背景にある不屈の闘志を思い出してみてください。


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