井筒部屋の現在は?閉鎖後の跡地や霧島・志摩ノ海の所属先と見学案内!

かつての名門「井筒部屋」が現在どうなっているのか、気になっている相撲ファンは多いのではないでしょうか。2019年の閉鎖、その後の陸奥部屋への合流、そして2024年の陸奥部屋閉鎖と、井筒部屋を取り巻く環境は激動の時代を迎えました。

この記事では、井筒部屋の最新情報や跡地の現状、元所属力士たちの移籍先について詳しく解説します。伝説の部屋の系譜がどこに引き継がれているのか、見学や案内の観点から整理しました。

  • 井筒部屋の閉鎖から現在までの経緯
  • 旧井筒部屋の跡地に建つマンションの秘密
  • 霧島や志摩ノ海など元所属力士の現在地
  • 将来的な「井筒部屋」復活の可能性と条件

井筒部屋の現在は?閉鎖の経緯と最新情報を徹底解説

井筒部屋は現在、相撲部屋としての活動を行っておらず、看板も掲げられていません。しかし、その伝統や系譜は複数の部屋や親方に受け継がれており、形を変えて生き続けています。

ここでは、井筒部屋が閉鎖に至った経緯から、2024年の陸奥部屋閉鎖に伴う再度の分散、そして現在の「井筒親方」の動向まで、複雑な状況をわかりやすく整理します。

2019年の閉鎖から陸奥部屋への合流まで

2019年9月、先代の井筒親方(元関脇・逆鉾)が急逝したことにより、井筒部屋は閉鎖を余儀なくされました。部屋付き親方が不在だったため、所属力士であった横綱・鶴竜(当時)や三段目の鋼ら全員が、同じ時津風一門の陸奥部屋へ移籍することになりました。

この時点で、物理的な場所としての「井筒部屋」はいったんその歴史に幕を下ろしました。多くのファンが慣れ親しんだ墨田区両国の建物からは力士たちの姿が消え、名門の看板が外されるという寂しい出来事となりました。

陸奥部屋へ移籍した後も、元井筒部屋の力士たちは「井筒魂」を胸に土俵に上がり続けました。特に鶴竜は横綱として、また霧島(当時は霧馬山)は後の大関昇進へとつながる成長を見せ、合併後も旧井筒勢の存在感は際立っていました。

2024年春の陸奥部屋閉鎖と力士の分散

井筒部屋の力士たちが移籍した陸奥部屋もまた、2024年4月に師匠である陸奥親方(元大関・霧島)の定年に伴い閉鎖されました。これにより、旧井筒部屋の力士たちは再び移籍を迫られ、それぞれの道へと分かれることになったのです。

この閉鎖劇は相撲界全体に大きな衝撃を与えましたが、同時に新たな部屋の誕生や移籍による活性化も生み出しました。元井筒部屋の力士たちは、音羽山部屋、荒汐部屋、伊勢ノ海部屋、追手風部屋などへ分散し、それぞれの新天地で稽古に励んでいます。

特に注目すべきは、元横綱・鶴竜が独立して設立した「音羽山部屋」の存在です。陸奥部屋閉鎖前に独立していましたが、閉鎖に伴い霧島(現・霧島 鐵力)ら旧井筒ゆかりの力士を受け入れ、実質的な系譜の受け皿の一つとなっています。

現在の「井筒親方」は元明瀬山(木瀬部屋所属)

部屋自体は消滅しましたが、「井筒」という年寄名跡は現在も存続しています。日本相撲協会の公式情報によると、現在の井筒親方は元幕内・明瀬山(深尾光彦)が務めており、木瀬部屋の部屋付き親方として指導にあたっています。

明瀬山は現役引退後に井筒の名跡を襲名し、親方としてのキャリアをスタートさせました。彼自身のユニークなキャラクターと相まって、新たな「井筒親方」としての認知度を高めつつあり、メディア出演などでも活躍を見せています。

ただし、彼はあくまで「木瀬部屋」に所属する親方であり、自身で「井筒部屋」を運営しているわけではありません。そのため、現在の「井筒親方」に会いたい場合は、木瀬部屋の動向やイベント情報をチェックする必要があります。

名跡「井筒」の所有者と今後の行方

年寄名跡「井筒」の権利関係については、複雑な事情が絡み合っています。報道等によれば、この名跡は先代井筒親方(逆鉾)の遺族が管理しており、将来的には娘婿である現役力士・志摩ノ海が継承することが既定路線と見られています。

現在は志摩ノ海が現役であるため、元明瀬山が一時的に借りる形で襲名している可能性が高いです。相撲界では名跡の貸し借りは珍しいことではなく、適任者が現れるまで別の親方が名乗るケースが多々あります。

志摩ノ海が引退したタイミングで、正式に井筒の名跡を取得し、名実ともに「井筒親方」となる日が来ると予想されます。その時こそが、本当の意味での「井筒部屋再興」への第一歩となるのかもしれません。

系譜を受け継ぐ音羽山部屋(元鶴竜)の誕生

旧井筒部屋の精神的な支柱とも言えるのが、元横綱・鶴竜が率いる音羽山部屋です。鶴竜は先代井筒親方の愛弟子であり、部屋の伝統や教えを最も色濃く受け継いでいる人物の一人と言えるでしょう。

音羽山部屋は2023年末に新設され、墨田区向島に拠点を構えています。新しい部屋ではありますが、師匠が元井筒部屋の横綱であることから、旧来のファンにとっても応援しやすい環境が整っています。

霧島をはじめとする旧井筒出身の力士たちが合流したことで、音羽山部屋はかつての井筒部屋の雰囲気をどこか彷彿とさせる存在になりつつあります。新たな歴史の始まりとして、注目すべき部屋です。

旧井筒部屋の跡地・建物は見学できる?

かつて数々の名力士を輩出した墨田区両国の「旧井筒部屋」。現在はどのような姿になっているのでしょうか。ファンとしては、思い出の場所がどう変わったのか、あるいは面影が残っているのか気になるポイントです。

ここでは、跡地の現状と建物の特徴、そして周辺の観光情報について紹介します。中に入ることはできませんが、外観を見学するだけでも往年のファンには感慨深いものがあるはずです。

墨田区両国の跡地に建つ7階建てマンション

旧井筒部屋の建物は解体され、現在はその跡地に真新しい7階建てのマンションが建設されています。場所は以前と変わらず、JR両国駅から徒歩圏内の好立地にあり、相撲の聖地としての雰囲気は健在です。

外観はモダンな茶系のタイル張りで、かつての相撲部屋の重厚なイメージとは異なりますが、周囲の景観に馴染む落ち着いたデザインになっています。看板などは掲げられていないため、知らなければここがかつての井筒部屋だったとは気づかないかもしれません。

現在は一般の居住用マンションとして機能しているため、敷地内への立ち入りや見学はできません。訪問する際は近隣住民の迷惑にならないよう、公道から静かに外観を眺める程度に留めるマナーが求められます。

将来の再興を見越した1階・2階の構造

この新しいマンションには、実は大きな特徴があります。報道によると、1階と2階部分は将来的に相撲部屋として使用できる構造(天井高や土俵スペースの確保など)にあらかじめ設計されているとのことです。

これは、先代井筒親方の遺族や関係者が、いつか再びこの地で「井筒部屋」を復活させるという強い意志を持っていることの表れと言えるでしょう。単なるマンションではなく、「未来の相撲部屋」としての機能が眠っているのです。

現在は志摩ノ海とその家族が居住しているとも伝えられており、部屋再興の準備が整うその時を静かに待っている状態です。建物自体が、再興への希望を象徴する存在となっています。

アクセス情報と周辺の相撲スポット

旧井筒部屋の跡地を訪れるなら、周辺の相撲関連スポットも合わせて巡るのがおすすめです。最寄り駅はJR総武線の両国駅で、そこから徒歩数分というアクセスの良さは、相撲部屋巡りには最適です。

すぐ近くには、鼠小僧の墓で有名な「回向院」があります。回向院はかつて勧進相撲が行われていた場所であり、相撲の歴史を語る上では外せない聖地です。旧井筒部屋跡地とセットで訪れるファンも少なくありません。

また、少し足を伸ばせば両国国技館や江戸東京博物館(改修中は要確認)、ちゃんこ店などが軒を連ねています。相撲の街・両国の雰囲気を楽しみながら、かつての名門部屋に思いを馳せる散策コースとして楽しんでみてはいかがでしょうか。

元所属力士・霧島や志摩ノ海の所属先と見学

井筒部屋自体が見学できない現在、ファンにとっての楽しみは、元所属力士たちが活躍する現在の部屋を応援することです。彼らはそれぞれの移籍先で、新たな師匠のもと稽古に励んでいます。

ここでは、主要な元井筒力士である霧島(音羽山部屋)と志摩ノ海(木瀬部屋)の所属先情報と、見学に関する注意点をまとめました。最新の情報をチェックして、マナーを守った応援を心がけましょう。

霧島(鐵力)が所属する音羽山部屋の場所と案内

元大関であり、旧井筒部屋の出世頭である霧島(現在は霧島 鐵力に改名)は、音羽山部屋に所属しています。音羽山部屋は東京都墨田区向島にあり、スカイツリーからも比較的近いエリアに位置しています。

師匠は元横綱の鶴竜(音羽山親方)で、霧島にとっては兄弟子にあたる人物です。気心の知れた師匠のもとで再起を図る霧島の姿は、多くの旧井筒ファンにとって希望の光となっています。

音羽山部屋は公式サイトやSNSを開設しており、部屋の様子を積極的に発信しています。所在地も公開されていますが、住宅街にあるため、訪問の際は近隣への配慮を忘れないようにしましょう。

志摩ノ海が所属する木瀬部屋の場所と案内

先代井筒親方の娘婿であり、将来の部屋継承が期待される志摩ノ海は、木瀬部屋に所属しています。木瀬部屋は東京都墨田区立川にあり、多くの関取を擁する大所帯の活気ある部屋として知られています。

木瀬部屋は「相撲界の虎の穴」とも呼ばれ、厳しい稽古で知られています。志摩ノ海もここで揉まれながら、自身の相撲を磨くとともに、将来の親方業に向けた経験を積んでいることでしょう。

現在の「井筒親方(元明瀬山)」もこの木瀬部屋に所属しているため、井筒の系譜を感じたいファンにとっては注目のスポットです。ただし、所属力士が非常に多いため、特定の力士を見つけるのは本場所中などでないと難しいかもしれません。

一般見学の可否と稽古見学のルール

相撲部屋の見学は、部屋によってルールが大きく異なります。音羽山部屋や木瀬部屋に関しては、常に一般公開しているわけではなく、時期や状況によって対応が変わるため事前の確認が不可欠です。

特に最近は、感染症対策や力士の集中力を保つために、見学を「後援会会員限定」や「完全非公開」とする部屋が増えています。公式サイトやSNSで最新のアナウンスがないか、必ずチェックしてから行動するようにしてください。

もし見学が許可されている場合でも、私語厳禁、フラッシュ撮影禁止、携帯電話の電源オフなど、厳格なマナーが求められます。神聖な稽古場にお邪魔させていただくという感謝の気持ちを忘れずに参加しましょう。

井筒部屋が復活する可能性はあるか

多くのファンが最も知りたいのは、「井筒部屋はいつか復活するのか?」という点でしょう。名門の灯を消さないために、水面下では再興に向けた準備や構想が進んでいると言われています。

ここでは、志摩ノ海による再興構想と、その実現に向けたハードルについて解説します。現行の相撲協会の規定は非常に厳しく、部屋持ち親方になるには高い実績が求められます。

志摩ノ海による再興構想とハードル

井筒部屋復活の鍵を握るのは、やはり志摩ノ海です。彼が引退後に井筒の名跡を正式に継承し、現在居住している旧跡地の建物を使って部屋を開くというのが、最も有力な再興シナリオです。

しかし、既存の部屋を継承するのではなく、一度閉鎖された部屋を「新設」する形になる場合、そのハードルは格段に上がります。単に名跡を持っているだけでは部屋を開くことができないのが、現在の相撲界の厳しい現実です。

志摩ノ海自身の最高位や通算成績が、部屋新設の基準を満たせるかどうかが大きな焦点となります。ファンの期待とは裏腹に、規定の壁が立ちはだかる可能性があることを理解しておく必要があります。

部屋新設に必要な厳しい条件

日本相撲協会の規定では、部屋を新設するための条件として「横綱・大関経験者」、あるいは「三役通算25場所以上」、「幕内通算60場所以上」といった非常に高い実績基準が設けられています。

志摩ノ海のこれまでの実績と照らし合わせると、これらの条件をクリアするのは容易ではありません。もし条件を満たせない場合、部屋の再興は先送りになるか、あるいは特例や別の方法を模索することになるでしょう。

この厳しい条件こそが、簡単に井筒部屋が復活しない最大の理由です。しかし、伝統ある名跡を絶やさないために、一門内での協力や支援が行われる可能性もゼロではありません。

伝統ある「井筒」の火を消さないための動き

ハードルは高いものの、井筒部屋の伝統を守ろうとする人々の思いは消えていません。先代親方の遺族、元所属力士たち、そして長年のファンが、何らかの形での復活を願い続けています。

例えば、音羽山部屋が実質的な後継として機能しつつ、将来的には名称変更や暖簾分けのような形で「井筒」の名が復活する未来もあるかもしれません。相撲界の組織改編は流動的であり、数年後に状況が変わっていることもあり得ます。

私たちファンにできることは、現状を受け入れつつ、井筒の魂を受け継ぐ力士たちを温かく見守り、応援し続けることでしょう。彼らの活躍こそが、将来の井筒部屋復活への一番の近道になるはずです。

まとめ

井筒部屋の現在の状況について、閉鎖の経緯から跡地の様子、そして所属力士たちの最新情報までを解説してきました。物理的な部屋は現在ありませんが、その歴史と誇りは確かに受け継がれています。

最後に、今回の記事のポイントを振り返りつつ、私たちができるネクストアクションを整理しましょう。歴史を知ることで、大相撲観戦がより深いものになるはずです。

  • 井筒部屋は閉鎖・解体されたが、跡地には将来の再興を見越したマンションが建っている
  • 霧島は音羽山部屋、志摩ノ海は木瀬部屋へ移籍し、現役で活躍中
  • 現在の井筒親方は元明瀬山だが、部屋は持たず木瀬部屋付きとなっている
  • 部屋の再興には志摩ノ海の実績など高いハードルがあるが、構想自体は消えていない

今すぐ「井筒部屋」を見学することはできませんが、両国の跡地を訪れたり、霧島や志摩ノ海が出場する取組を応援したりすることは可能です。ぜひ本場所や巡業に足を運び、彼らに熱い声援を送ってください。

 

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