鏡山部屋の現在は?閉鎖後の移籍先と親方の動向を完全網羅|見学案内

「鏡山部屋の力士たちは今どこにいるの?」「閉鎖されたって本当?」かつての名門・鏡山部屋の現在について、このような疑問をお持ちではないでしょうか。

実は鏡山部屋は2021年に閉鎖され、所属力士と親方は別々の道を歩むことになりました。本記事では、鏡山部屋の閉鎖の経緯から、元所属力士たちの移籍先、そして鏡山親方の意外な現在地までを詳しく解説します。

項目 詳細情報
閉鎖時期 2021年(令和3年)7月
力士の移籍先 伊勢ノ海部屋(全員)
親方の現在 追手風部屋(2025年〜)
見学可否 部屋消滅のため不可

鏡山部屋の閉鎖と分裂した現在の所属状況

2021年に51年の歴史に幕を下ろした鏡山部屋ですが、その後の動向は少し複雑です。ここでは、部屋閉鎖の事実と、親方や力士たちが現在どこに所属しているのかという最新情報を整理してお伝えします。

かつてのファンの方々が混乱しないよう、閉鎖の経緯から2025年時点での最新の所属変更までを時系列で詳しく見ていきましょう。

2021年の部屋閉鎖と伊勢ノ海部屋への全員転籍

2021年7月、日本相撲協会は鏡山部屋の閉鎖を正式に発表し、相撲界に大きな衝撃が走りました。部屋の師匠であった鏡山親方(元関脇多賀竜)と所属力士全員が、同じ一門である伊勢ノ海部屋へ転籍することになったのです。

この閉鎖は、所属力士の減少や後継者不在など、近年の相撲部屋が抱える維持管理の難しさが背景にあったと言われています。歴史ある看板が下ろされることに対し、多くのオールドファンからは惜しむ声が上がりました。

転籍当初は、師匠も弟子も全員揃って伊勢ノ海部屋の一員として活動を開始し、新しい環境での再スタートを切りました。

2025年の新事実!鏡山親方の追手風部屋への再転籍

力士たちと共に伊勢ノ海部屋へ移った鏡山親方ですが、2025年に入り新たな動きがありました。日本相撲協会の公式発表によると、鏡山親方は現在「追手風部屋」の所属に変更となっています。

これは力士たちを残したまま親方のみが籍を移すという珍しいケースであり、ファンの間でもあまり知られていない事実かもしれません。定年後の再雇用期間における協会内人事や、部屋運営のサポート体制などが影響していると考えられます。

その結果、元鏡山部屋の力士は伊勢ノ海部屋、元師匠は追手風部屋という「ねじれ」の状態が生まれているのが現状です。

なぜ親方と力士の所属が分かれたのか?

親方と力士が別々の部屋に所属することになった背景には、相撲協会の組織的な事情や部屋ごとの指導体制のニーズが関係しています。伊勢ノ海部屋は歴史ある大部屋であり、指導陣も充実しているため、力士たちの育成環境としては申し分ありません。

一方で、鏡山親方は相撲協会内での要職を歴任しており、特定の部屋の師匠代行や補佐として、よりその経験を活かせる場所が求められた可能性があります。追手風部屋も多くの関取を擁する有力部屋であり、ベテラン親方の知見が必要とされたのでしょう。

このように、それぞれのキャリアや役割に最適化された結果、現在の配置になったと推測されます。

現在の「鏡山部屋」は建物も含めて完全消滅

かつて東京都葛飾区に存在した鏡山部屋の施設は、現在どうなっているのでしょうか。残念ながら、相撲部屋としての機能は完全に停止しており、看板も外され、かつての稽古場の熱気を感じることはできません。

Googleマップなどで検索しても「閉業」と表示されるか、すでに別の用途で使用されている可能性が高いため、現地を訪れても当時の面影を探すのは難しいでしょう。物理的な拠点としての鏡山部屋は完全に消滅しており、聖地巡礼などを考えている方は注意が必要です。

思い出の場所が無くなるのは寂しいことですが、部屋の魂は力士たちの中に生き続けています。

元所属力士たちの複雑な心境と現在の環境

突然の閉鎖と移籍、そして師匠との別離という激動を経験した力士たちの心境は計り知れません。しかし、彼らは伊勢ノ海部屋という新しい家族の中で、日々懸命に稽古に励んでいます。

伊勢ノ海部屋は伝統的に「お互いを尊重する」気風があり、移籍組もスムーズに溶け込めるよう配慮がなされたと聞いています。環境の変化をチャンスと捉え、以前よりも活気ある稽古場で揉まれることで、力をつけている力士も少なくありません。

彼らの現在の姿を応援することこそが、かつての鏡山部屋への一番の供養になるはずです。

鏡山親方(元関脇多賀竜)の相撲協会での重責

部屋を閉じた後も、鏡山親方は日本相撲協会にとって欠かせない重要な人物であり続けています。ここでは、現役時代の輝かしい功績から、裏方として協会を支える現在の仕事ぶりまでを紹介します。

派手なパフォーマンスは好まない実直な人柄で知られる親方ですが、その実務能力と相撲愛は協会内でも高く評価されています。

勝負審判や再雇用後の役職と協会内での信頼

鏡山親方は長年にわたり、勝負審判や理事などの要職を歴任してきました。特に審判部での仕事は、土俵上の微妙な判定を裁く重責であり、確かな相眼と冷静な判断力が求められるポジションです。

定年を迎えた後も再雇用制度を利用して協会に残り、後進の指導や組織運営のサポートに尽力しています。このような長く重要なポストを任されること自体が、協会内での厚い信頼の証と言えるでしょう。

表舞台に出ることは少なくなりましたが、大相撲の円滑な運営を支える「縁の下の力持ち」として活躍しています。

追手風部屋での新たな役割と指導体制

2025年から所属となった追手風部屋において、鏡山親方はどのような役割を果たしているのでしょうか。追手風部屋は遠藤や大栄翔など多くの関取を輩出している活気ある部屋であり、そこに経験豊富な鏡山親方が加わる意味は大きいです。

直接的な師匠という立場ではなくとも、部屋付き親方として若い力士たちに技術や心構えを説く機会は多いはずです。特に怪我に苦しんだ自身の経験に基づくアドバイスは、過酷な土俵で戦う力士たちにとって金言となるでしょう。

新しい環境でも、その温厚な人柄で部屋の雰囲気を和ませる潤滑油のような存在になっているはずです。

現役時代の「アキレス腱断裂からの優勝」の伝説

鏡山親方の現役時代(四股名:多賀竜)を語る上で外せないのが、奇跡のような初優勝のエピソードです。関脇まで昇進しながらアキレス腱断裂という大怪我に見舞われ、一時は幕下まで番付を落としました。

そこから不屈の闘志で這い上がり、1984年9月場所で平幕優勝を果たした姿は、多くの相撲ファンに感動を与えました。この「諦めない心」こそが鏡山イズムの根幹であり、現在の指導哲学にも色濃く反映されています。

苦難を乗り越えた人間だけが持つ強さと優しさが、今の親方の魅力を形作っているのです。

旧鏡山部屋所属力士たちの「その後」を追う

部屋がなくなっても、かつて鏡山部屋の看板を背負っていた力士たちの人生は続いています。ここでは、移籍後の力士たちがどのような道を歩んでいるのか、具体的な名前を挙げながらその現在地に迫ります。

引退を選んだ者、現役で戦い続ける者、それぞれの選択にドラマがあり、オールドファンにとっては気になる情報ではないでしょうか。

幕内経験者・鏡桜の引退と日本国籍取得の裏側

鏡山部屋の最後の関取として知られるモンゴル出身の鏡桜は、伊勢ノ海部屋への移籍後も土俵に上がり続けました。怪我に苦しみながらも復帰を目指していましたが、2023年に現役を引退しています。

引退の直前には日本国籍を取得しており、これは将来的に指導者として相撲界に残る可能性を模索していた証とも言えます。部屋の閉鎖や移籍という激動の中で、日本への帰化手続きを進めるのは並大抵の苦労ではなかったはずです。

現在は断髪式も終え、第二の人生を歩み始めていますが、彼の功績は鏡山部屋の歴史に深く刻まれています。

親方の実子・竜勢の現役続行と伊勢ノ海での奮闘

鏡山親方の実子である竜勢もまた、伊勢ノ海部屋に移籍して現役を続けている力士の一人です。師匠である父親が別の部屋に移った後も、彼は伊勢ノ海部屋の一員として稽古に励んでいます。

父親と同じ部屋でなくなることは精神的な変化をもたらしたかもしれませんが、逆に一人の力士として自立する良い機会になったとも捉えられます。周囲の雑音に惑わされず、着実に番付を上げていくことが期待されています。

「親方の息子」というプレッシャーを跳ね除け、彼自身の相撲で花開く日を多くのファンが待っています。

伊勢ノ海部屋の力士たちとの融合と稽古環境

旧鏡山部屋の力士たちにとって、伊勢ノ海部屋の大所帯での稽古は大きな刺激となっています。少人数だった鏡山部屋時代とは異なり、多くの関取や兄弟子と肌を合わせることができるからです。

伊勢ノ海部屋は「電車道」と呼ばれる押し相撲を得意とする力士が多く、四つ相撲が多かった鏡山勢にとっては新しい技術を吸収するチャンスでもあります。異なる伝統が混ざり合うことで、力士としての幅が広がることは間違いありません。

移籍組と元々の伊勢ノ海組が切磋琢磨することで、部屋全体のレベルアップにも繋がっているのです。

伝説の横綱・柏戸が創設した鏡山部屋の歴史

現在は閉鎖されてしまいましたが、鏡山部屋が相撲史に残した足跡が消えることはありません。ここでは、部屋の創設者である横綱・柏戸の精神と、そこから生まれた名力士たちの記憶を振り返ります。

「剛の柏戸」と呼ばれた名横綱が作り上げた部屋は、どのような特徴を持ち、どのような力士を育ててきたのでしょうか。

「柏鵬時代」を築いた柏戸の土俵精神の継承

鏡山部屋のルーツは、昭和の大横綱である第47代横綱・柏戸が1970年に創設したことに始まります。大鵬と共に一時代を築いた彼は、現役時代と同様に「攻める相撲」を弟子たちに叩き込みました。

妥協を許さない厳格な指導で知られましたが、その根底には相撲道への深い敬意と弟子への愛情がありました。この「柏戸の精神」は、弟子である多賀竜(現・鏡山親方)に受け継がれ、部屋の伝統として守られてきたのです。

閉鎖された今でも、その遺伝子は伊勢ノ海部屋に移った力士たちの取り口の中に息づいています。

少数精鋭を貫いた育成方針と家族的な絆

鏡山部屋は決して大規模な部屋ではありませんでしたが、その分、師匠と弟子の距離が近い家族的な雰囲気が特徴でした。一人ひとりの個性に合わせたきめ細かい指導が可能であり、独自の育成方針を貫いてきました。

力士の数が少ないことは稽古相手の不足というデメリットもありましたが、出稽古を積極的に行うなどでカバーしていました。食事や生活面でも一体感が強く、力士同士の絆の深さは他の部屋に負けないものがありました。

このアットホームな環境こそが、辛い稽古を乗り越える力士たちの心の支えとなっていたのです。

蔵玉錦や起利錦など個性派力士たちの記憶

鏡山部屋からは、多賀竜以外にも記憶に残る名力士が数多く輩出されました。いぶし銀の取り口でファンを魅了した蔵玉錦や、小柄ながら切れ味鋭い技で土俵を沸かせた起利錦などがその代表です。

彼らは決して恵まれた体格ではありませんでしたが、部屋伝統の徹底した基礎稽古と工夫を凝らした相撲で幕内上位へと進出しました。こうした「職人肌」の力士を育て上げることが、鏡山部屋の真骨頂だったと言えるでしょう。

記録よりも記憶に残る力士を育てた鏡山部屋の名は、オールドファンの心の中で今も輝き続けています。

現在の見学案内と伊勢ノ海部屋・追手風部屋

最後に、現在「鏡山部屋の系譜」を感じるために見学に行きたいと考えている方への案内情報をまとめます。かつての所在地に行っても何もないため、現在の所属先である各部屋の情報把握が重要です。

見学を希望される方は、各部屋の最新ルールやマナーを十分に理解した上で、節度ある行動を心がけましょう。

旧鏡山部屋(葛飾区)への訪問は無意味である理由

前述の通り、葛飾区新小岩にあった旧鏡山部屋の建物はすでに相撲部屋としての実体を失っています。観光名所のように記念碑があるわけでもなく、一般の住宅や施設になっている可能性があるため、訪問は推奨されません。

近隣住民の方への迷惑になる可能性もあるため、興味本位での「跡地巡り」は控えるのが賢明です。どうしても昔の雰囲気を味わいたい場合は、過去の映像や写真集などで往年の姿を懐かしむのが良いでしょう。

リアルな相撲の熱気を感じたいのであれば、現在活動している部屋へ足を運ぶべきです。

伊勢ノ海部屋(文京区)の見学ルールとマナー

元鏡山部屋の力士たちが汗を流しているのは、東京都文京区千石にある伊勢ノ海部屋です。この部屋は比較的見学に対してオープンな姿勢を持っていますが、事前の確認は必須です。

一般的には、朝稽古の時間帯(早朝から午前10時頃まで)に窓越しや指定エリアからの見学が可能か、電話等で問い合わせるのが確実です。ただし、場所前や特別な行事がある日は見学不可となることも多いため注意してください。

見学の際は私語を慎み、携帯電話の電源を切るなど、神聖な稽古場の空気を乱さない配慮が求められます。

追手風部屋(草加市)の場所と見学の難易度

鏡山親方が現在所属している追手風部屋は、埼玉県草加市瀬崎にあります。こちらは都心からは少し離れますが、多くの関取を擁する人気部屋の一つです。

追手風部屋の見学可否については時期によって変動があり、公式サイトやSNSでの情報発信を確認する必要があります。一般公開されていない時期もあるため、いきなり訪問することは絶対に避けてください。

親方の姿を見たい場合は、部屋への訪問よりも、本場所の会場で勝負審判などの業務に就いている姿を探す方が確実かもしれません。

まとめ

2021年の閉鎖以降、鏡山部屋という名前は番付表から消えてしまいましたが、その歴史と遺伝子は確実に受け継がれています。元所属力士たちは伊勢ノ海部屋で、そして鏡山親方は追手風部屋で、それぞれの新しい相撲人生を歩んでいます。

かつての「鏡山部屋」をそのまま見学することはもう叶いませんが、彼らの現在の活躍を応援することは可能です。ぜひ本場所や巡業、そして伊勢ノ海部屋での稽古見学などを通じて、変わらぬ声援を送ってみてはいかがでしょうか。

過去を懐かしむだけでなく、形を変えて生き続ける彼らの「今」を見守っていくことこそが、最大のファンサービスへの恩返しになるはずです。

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