大相撲中継やニュースで「天鎧鵬」という四股名を目にしたとき、その独特な漢字の並びにどう読むのか戸惑った経験はありませんか。また、現役引退後は親方として指導にあたっていた彼が、現在は実業家として新たな道を歩み始めていることをご存知でしょうか。
この記事では、難読四股名としても知られる天鎧鵬の読み方や由来から、現役時代の輝かしい実績、そして相撲協会退職後の驚きの転身までを詳しく解説します。相撲ファンならずとも興味深い、彼のセカンドキャリアの全貌に迫りましょう。
- 天鎧鵬の正しい読み方とプロフィールの詳細
- 現役時代の最高位や十両優勝の実績
- 親方時代の名跡変更と退職の経緯
- 2026年に設立した新会社での活動内容
天鎧鵬の読み方と基本プロフィールを徹底解説
相撲界には多くの難読四股名が存在しますが、その中でも特に力強さと神秘性を兼ね備えているのが「天鎧鵬」という名前です。まずはこの四股名の正しい読み方や本名、出身地といった基本的なプロフィールを整理し、彼がどのような力士であったのかを紐解いていきましょう。
ここでは、天鎧鵬の基礎知識として、読み方や本名、所属部屋などのデータを詳しく紹介していきます。彼のルーツを知ることで、現役時代の活躍や現在の活動に対する理解もより深まるはずですので、ぜひチェックしてみてください。
正しい読み方は「てんかいほう」で音の響きも豪快
「天鎧鵬」という四股名の正しい読み方は「てんかいほう」であり、一度聞けば忘れられないインパクトのある音の響きを持っています。漢字三文字で構成されるこの名前は、天を衝くような高さと鎧のような堅固さ、そして鵬(おおとり)のような飛躍をイメージさせます。
多くの相撲ファンが初見では正しく読めない難読名の一つですが、その分だけ記憶に残りやすく、現役時代から多くの好角家に親しまれてきました。四股名には力士の願いや師匠の思いが込められており、彼の場合も強さとスケールの大きさを象徴する素晴らしい名前であると言えるでしょう。
本名は南貴由輝で熊本県出身の元幕内力士
天鎧鵬の本名は南貴由輝(みなみ たかゆき)といい、情熱の国としても知られる九州の熊本県玉名市出身です。幼少期から恵まれた体格を持っていた彼は、地元の相撲道場で稽古に励み、中学や高校時代からその才能の片鱗を見せていました。
高校卒業後は日本大学へと進学して相撲部に所属し、学生相撲の舞台で基礎を徹底的に叩き込まれたことが、後の大相撲での活躍につながっています。熊本県出身の力士は粘り強く闘志あふれる傾向があり、彼もまたその伝統を受け継ぐ熱いハートを持った力士の一人でした。
尾上部屋に所属し初土俵からスピード出世
大学卒業後に彼が入門したのは、元小結・濱ノ嶋が師匠を務める尾上部屋であり、ここから彼のプロとしてのキャリアがスタートしました。2007年の初場所で初土俵を踏むと、持ち前の身体能力と技術を活かして序ノ口、序二段、三段目と順調に番付を駆け上がっていきました。
特に幕下以下の時代は圧倒的な強さを見せつけ、初土俵からわずか1年あまりで関取の座を掴むなど、そのスピード出世ぶりは周囲を驚かせました。尾上部屋の創設期を支えた一人として、部屋の看板力士へと成長していく過程は、多くのファンの期待を集めるものでした。
最高位は前頭8枚目で大型力士として活躍
天鎧鵬の現役時代の最高位は西前頭8枚目であり、幕内の中堅力士として長きにわたり土俵を沸かせました。身長180センチを超える恵まれた体格と、160キロを超える重量感あふれる体躯を活かした相撲は、対戦相手にとって大きな脅威となっていました。
幕内では上位陣との対戦も経験し、金星こそ獲得できませんでしたが、横綱や大関相手に真っ向勝負を挑む姿勢は多くの観客の拍手を誘いました。怪我に苦しむ時期もありましたが、不屈の闘志で何度も這い上がり、幕内の座を守り続けたことは彼の実力の証明です。
愛称は「南くん」など親しみやすいキャラクター
厳格な勝負の世界に身を置きながらも、天鎧鵬はその温厚な人柄から「南くん」という愛称で親しまれ、力士仲間やファンから愛されました。土俵上での激しい表情とは裏腹に、支度部屋や巡業先で見せる笑顔は非常にチャーミングで、そのギャップが多くのファンを惹きつけました。
また、ファンサービスにも熱心で、サインや写真撮影にも快く応じる姿勢は、現役時代を通じて変わることはありませんでした。こうした人間性の良さが、引退後に親方として後進を指導する際や、現在の新しいビジネスを展開する上でも大きな武器となっていることは間違いありません。
天鎧鵬の現役時代の成績と記憶に残る取り組み
天鎧鵬の現役時代を振り返ると、十両優勝や幕内での激闘など、数々の記憶に残るシーンが思い浮かびます。彼は決して派手な技を多用するタイプではありませんでしたが、堅実な取り口と粘り強い相撲で、玄人好みの好取組を数多く演じてきました。
ここでは、彼の力士としての実績に焦点を当て、特に輝きを放った十両優勝の瞬間や、得意としていた四つ相撲の型について深掘りしていきます。記録にも記憶にも残る彼の足跡をたどることで、実力者としての側面を再評価してみましょう。
十両優勝を2度達成した勝負強さの証明
天鎧鵬のキャリアの中で特筆すべき実績の一つが、激戦の十両リーグで2度の優勝を果たしている点です。関取としての地位を確固たるものにするための重要な場所で、彼は持ち前の集中力を発揮し、並み居るライバルたちを退けて賜杯を抱きました。
特に優勝決定戦などのプレッシャーのかかる場面でも動じることなく、自分の相撲を貫き通した精神力は称賛に値します。これらの優勝は、彼が単なる体格に恵まれた力士であるだけでなく、勝負どころを見極める鋭い感性と技術を持っていたことの何よりの証左と言えるでしょう。
幕内での通算成績と怪我との壮絶な戦い
幕内通算在位は15場所を数え、その間には勝ち越しと負け越しを繰り返しながらも、常に全力で土俵に上がり続けました。しかし、彼のキャリアは順風満帆なだけではなく、膝や足首の怪我による長期休場や番付降下という苦難の時期も経験しています。
それでも彼は腐ることなくリハビリに励み、幕下まで番付を落としても再び関取の座に返り咲くという不屈の精神を見せました。この「何度でも蘇る」姿勢こそが天鎧鵬の真骨頂であり、多くのファンが彼を応援し続けた最大の理由でもあります。
得意とした右四つからの寄りと粘り腰
天鎧鵬の相撲スタイルは、右四つに組んでからの力強い寄りを主体とした、正統派の四つ相撲でした。一度上手を引けば、その巨体を活かして相手を土俵際まで追い詰める迫力があり、自分の形になったときの勝率は非常に高いものがありました。
また、攻め込まれた際に見せる土俵際での粘り腰も特徴的で、逆転の突き落としやうっちゃりで白星を拾うことも少なくありませんでした。柔軟な体と体幹の強さを活かしたこの取り口は、対戦相手にとって非常に攻めづらいものであり、彼の長く現役を続けられた要因の一つです。
現在は音羽山親方ではなく実業家へ転身
引退後の天鎧鵬は、日本相撲協会に残って年寄名跡を襲名し、親方として後進の指導にあたってきました。しかし、2026年現在は既に協会を退職しており、親方としてではなく、実業家として新たなキャリアをスタートさせていることはあまり知られていません。
ここでは、引退直後の親方時代の変遷から、相撲協会を退職するに至った経緯、そして現在の状況について詳しく解説します。情報のアップデートがされていない古い記事も多いため、ここで最新の事実関係をしっかりと確認しておきましょう。
引退後の年寄名跡は秀ノ山から北陣まで変遷
2019年に現役を引退した彼は、まず年寄「秀ノ山」を襲名し、尾上部屋の部屋付き親方として指導者の道を歩み始めました。その後、年寄名跡の貸借や調整に伴い、「音羽山」「佐ノ山」と名跡を変更し、最終的には「北陣」を襲名していました。
このように短期間で名跡が頻繁に変わることは、角界の事情により珍しいことではありませんが、彼にとっては落ち着かない時期もあったかもしれません。それでも、それぞれの名跡時代において、彼は変わらぬ情熱で弟子たちの育成や協会の業務に尽力してきました。
佐渡ヶ嶽部屋などでの指導と協会退職の理由
親方時代には、自身の経験を活かして若手力士への技術指導を行うとともに、審判部などの裏方業務も精力的にこなしていました。しかし、襲名していた年寄名跡「北陣」は、元人気力士の遠藤が取得していた名跡であり、遠藤の引退に伴い返却する必要が生じました。
その結果、2025年10月26日付で日本相撲協会を退職するという決断に至りました。親方としての資質や実績は十分にありましたが、名跡取得の難しさという角界特有のハードルにより、指導者の道を離れることになったのは、多くのファンにとっても惜しまれる出来事でした。
2026年現在はオオクマ観光株式会社を設立
協会退職後の動向が注目されていましたが、彼は2026年1月7日に「オオクマ観光株式会社」を設立登記し、代表取締役に就任しました。この会社は、インバウンドや法人向けに相撲部屋の稽古見学を提供する観光ビジネスを展開しており、彼の新たな挑戦の舞台となっています。
現役時代の知名度と親方時代のネットワークを活かし、武隈部屋(師匠は元大関・豪栄道)などと連携して、一般には敷居の高い相撲部屋の内部を体験できる貴重な機会を提供しています。この事業は、相撲文化の普及と国際交流に貢献する画期的な取り組みとして注目を集めています。
天鎧鵬にまつわるエピソードとファンの反応
天鎧鵬という力士、そして一人の人間としての魅力は、土俵上の姿だけでは語り尽くせません。彼はその明るい性格とユーモアのセンスで周囲を和ませるムードメーカーであり、解説者としての活動でもその片鱗を見せています。
ここでは、彼の人柄が伝わる具体的なエピソードや、現在の活動に対するファンの反応などを紹介していきます。実業家となった今でも変わらない彼の魅力に触れることで、今後の活動をより一層応援したくなるはずです。
性格は温厚で解説者としても好評を博す
現役時代から温厚な性格で知られていた彼は、引退後にABEMAの大相撲中継などで解説を務める機会もあり、その分かりやすく優しい語り口が好評でした。専門用語を並べるだけでなく、力士の心情に寄り添ったコメントができるのは、苦労人であった彼ならではの視点です。
また、時に冗談を交えながら視聴者を楽しませるトークスキルもあり、解説席に彼がいると放送が明るくなると評判でした。現在は実業家としての活動がメインですが、今後もゲスト解説などで元気な姿を見せてくれることが期待されています。
巡業やイベントで見せたファンサービスの精神
地方巡業やファン感謝イベントなどでは、天鎧鵬の周りにはいつも人だかりができるほどの人気ぶりでした。子供と相撲を取ったり、握手会で一人ひとりに丁寧に声をかけたりする姿は、まさに力士の鑑とも言える素晴らしい対応でした。
こうした地道なファンサービスが、相撲人気の底上げに貢献していたことは間違いなく、彼自身もファンとの交流を心から楽しんでいたようです。現在の観光ビジネスにおいても、この「おもてなしの心」が顧客満足度を高める大きな要因になっていると考えられます。
第二の人生を応援する多くの惜しむ声と期待
相撲協会を退職し、新たな道を歩み始めた彼に対して、SNS上では「寂しいけれど応援している」「新しいビジネスでも頑張ってほしい」といった温かいメッセージが数多く寄せられました。親方を辞めることを惜しむ声と同時に、彼の行動力を称賛する声も多く聞かれます。
相撲界とは異なるビジネスの世界での挑戦は決して平坦ではありませんが、持ち前の粘り強さと明るさがあれば、きっと成功を収めることでしょう。ファンは彼の新しいステージでの活躍を、現役時代と同じように熱い視線で見守り続けています。
まとめ
ここまで、天鎧鵬の読み方や現役時代の実績、そして親方時代を経て実業家へと転身した現在の姿について解説してきました。彼のキャリアは、力士としての成功だけでなく、セカンドキャリアの切り拓き方という点でも非常に興味深いものです。
最後に、今回の記事の要点を振り返りつつ、今後の彼のアクションに注目するためのポイントを整理しておきましょう。これからの天鎧鵬、そしてオオクマ観光の活動から目が離せません。
- 読み方は「てんかいほう」で、最高位は前頭8枚目
- 十両優勝を2回経験し、粘り強い右四つの相撲で活躍
- 引退後は秀ノ山、音羽山、北陣などの親方を歴任
- 2026年現在はオオクマ観光の代表として相撲文化を発信中
天鎧鵬という力士は、土俵の上でも降りてからも、常に前を向いて挑戦し続ける姿勢を持ち続けています。もし相撲部屋の稽古見学に興味があるなら、彼が手掛けるオオクマ観光のサービスをチェックしてみるのも良いでしょう。かつての名力士がプロデュースする特別な体験は、相撲の奥深さを知る絶好の機会になるはずです。


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